蛙鳴蝉噪

マンガの感想などを書きます

『さよなら私のクラマー』13巻

13巻書影
出典:openDB

月刊少年マガジン掲載
13巻発売日:2020年10月16日
読了日:2021年02月28日

 

感想:覚悟を決めた深津“監督”は優秀説

この巻を読んだ。読んでしまった。
正直、自分の感情がどう動くのか全く想像できなかったから、発売直後に購入していたにもかかわらず、約4か月ほど読めていなかった。
そんな今巻を読んでしまった。深津監督がちゃんと監督業をする今巻を。

そしたらやっぱり深津監督、サッカーに関しては優秀でやんの。指導者としてはまだまだ未熟者ではあるが、戦術家としての監督業は素晴らしい働きをするよなぁ。
深津監督のキャリアはこの巻から始まったといっても過言ではないんじゃないだろうか。

以下ネタバレ含みます。また文体も変わります。

ひねくれた大人が素直になるには何かあったに違いないと指摘できるのは一定の信頼の証なのかもしれない

様々な形の「責任」と深津監督に訪れた心境の変化

この巻で描かれた「責任」とは

試合の勝敗を決めるプレーの「責任」とは。
チームキャプテンの「責任」とは。
試合における監督の「責任」とは。
まだまだプロスポーツとして課題の残る女子サッカーの、フロントランナーとしての「責任」とは
若人に対する指導者としての「責任」とは

いずれも今巻登場した「責任」である。しかしながら、いずれに対しても明確な「答え」が提示されたわけではない。
今巻では深津監督を通して、あくまでそれらと向き合う「覚悟」の示し方の一例が示された巻である。
つまり(こんなことはあえて指摘する必要がないとは思うが)13巻の主役は深津監督なのである。

これまでの深津監督といえばこんな人

さて深津監督といえば、職場で競馬新聞を読むように、今作において無責任の代表的キャラクターとして描かれてきていた。
しかしながら深津監督の実態はただの無責任な人間ではない。事情があってサッカーと距離を置き、でもサッカー自体とは離れきれないからか女子サッカーの監督をやっているという風に12巻までで描かれている。

例えば1巻の久乃木学園戦の時には女子サッカー自体に興味がないと断言している。

その巻以外にも、同僚であり元日本女子サッカーのフロントランナーである能見コーチに対して

女子サッカーに未来はあるのか

と質問をすることで、女子サッカーの監督業を積極的に行わないことに対して正当化していた。この巻までの深津監督といえばこんな人間だった。

深津監督の過去

前述の通り、深津監督には女子サッカーの監督業を積極的に行わなず無責任に振る舞う必然があった。だが、現役の生徒たちにはそんなこと知ったこっちゃない。「仕事しろ」と言われても仕方ない。

そこで、改めて深津監督の過去に焦点を当ててみる。

一番最初に描かれていたのは、これも1巻の久乃木学園戦の時。

期待されてダメになった奴なんか
そこら中にいる

という発言と、その下2コマに少し描かれている。この答え合わせは6巻で初登場した元日本代表の高萩数央が説明している。
詳細は割愛するが、才能も有り努力もしたが夢かなわず、再起を図った初手で大きくこけてしまった。

その際負った傷の大きさは推して知るべしだろう。そこから何があったのか、数年フリーだったのか、ちまちましたことを何かしらしていたのか、詳細は不詳である。
しかしながら、蕨青南高等学校へ赴任したのはU-23代表コーチの森住氏より推薦があってとのことなのだから、力になってくれる人がまだ残っていたのは彼にとって幸いだっただろう。

深津監督の本質

そんなこんなの経緯があって赴任したものの、女子サッカーには積極的にかかわろうとはしていなかったものと思われる。

練習へ顔は出すものの各選手に指導はしない。試合に引率へは行くが相手チームに対して有効的な指示を出すわけでもない。
女子サッカー部がある高校が少ない(と思われる)中、わざわざ女子サッカーをしている生徒たちにとってはたまったものじゃないだろう。そら上級生を中心にチームを去ることになるだろう。その原因と言われても仕方ない。

とはいえ、練習へ顔を出して各選手の特徴を把握しているのである。試合に引率し、相手チームの分析をしているのである。誰にも聞かれなかったからそうしなかったと、そう深津監督は言う(それで能見コーチやチームの選手に怒られたとしても)。

それはサッカーに携わっていたいけれど、もう一度関わることに対して恐れているという彼自身のこころの現れではないだろうか。

心境の変化を迎える

そんな深津監督にも心境の変化があった。
恩田たちが入学後は試合で簡単な指示を出し続けたこと。それによって試合の局面が変化したこと。また、能見コーチ、高萩などによって叱咤激励されたこと。
そのいずれもが深津監督には必要だったのだろう。

彼のこころの内側で燻っていたサッカーへの愛情や情熱が、前巻までの興蓮館戦で大きくなってしまった。また同時に、ワラビーズの選手たちと交流することで彼が負っていた傷も小さくなった。

だからこそ、今巻からついに「深津監督」としての手腕が発揮されることにまで繋がったのである(とはいえまだまだデリカシーもなければ、高校生と向き合うに当たって言葉が足りていないなど、課題が残っているのも間違いないのだが)。

今後への期待

また、今巻で描かれた宮坂からのサッカーに関してのみ信頼を寄せられていることも、彼にとっては大きい事柄になるだろう。

宮坂といえばワラビーズのDFリーダーであり、田勢と同じく3年生が抜けるのを見送った側の一人である。恩田や曽志崎などと違い、深津監督のせいで不遇を味わった生徒の一人である。
そんな宮坂に

あんたなんか嫌いに決まってんじゃん
(中略)
チーム崩壊の張本人が

と罵られるも、同時に

でも
サッカーに関しては
ちょっと信用してる

とまで言わせた。全幅の信頼、とまでは言えないものの、サッカーに関しては信頼を得つつある状況にまでなった。

その変化に、頑なだった深津監督といえど、こころが動かないわけがないだろう。今後どんな姿を見れるか期待である。

過去の失敗を乗り越えるために

「同じ過ちを犯すかもしれなかった」と気付けるかどうか

さて、「責任」に関連してもう一点、「成長途上の若い才能たちを相手にするということ」について言及したいと思う。

「成長途上の若い才能たちを相手にするということ」は、指導者の立場としては自分の一挙手一投足が毒にも薬にもなりえるという事実と向き合うということである。
真正面からこれと向き合おうと思っても少々気おくれしてしまうような、そんな課題と向き合うことを選んだ深津監督。過去に手痛い失敗をしたのは、前述の通り高萩が6巻で説明済みである。

何のための「指導」なのか

おそらくだが、その頃の失敗は指導を洗脳とはき違えた失敗なのだろうと思う。厳しく捉えるならば、相手の尊厳を奪うような「指導」だったと思われる。

いくら「勝つために正しいこと」であったとしても、プレーするのは監督ではなく選手自身である。監督の仕事はあくまで「試合に勝つために万全の準備を尽くすこと」であり、「試合に勝つためのプレー」は選手が行うものである。
そのため、いくら「試合に勝つために正しい」ことを監督としてしようとしていても、プレーをする選手が納得できなければ、中には感情的になってしまう選手も登場するだろう。そうなればチームが瓦解してしまうのも必定だろう。

もちろん深津監督自身にそんな自覚はない。チームの事を考え、チームが勝つために必要なこととして善意から提言したことだろう。
よく聞く「そんなこと頼んだ覚えはない」という反論は実際のところ不親切極まりないと思うが、チームメイトがそう感情的になって反論してしまうくらい、当時の深津は勝つために、あるいはより良いプレーを行うために正しい行いを実行できてしまったのだろう。

あいつを外せ!!
外さねぇなら
選手全員引きつれて辞めてやる

と(おそらく)現役選手(であり、おそらく深津監督より年長者)に言われてしまうのは、深津監督が監督としても若かったからに他ならないだろう。

今の彼が一定受け入れられているのは、指導対象がワラビーズのメンバーであることに加え、ワラビーズ自体が何にでもなれる真っ白いチームによるところは大きいものと思われる。

まとめ

話の構造としては、『四月は君の嘘』の巻と同様だと思う。指導者が「同じ過ちを犯すかもしれなかった」と気付く回。指導者の責任、大人の責任を扱う回。
換言するならば覚悟を問われる回なのだろう。

そら女子サッカーに関してはは能見コーチの方が覚悟か決まっているよな。元フロントランナーだもんな。同じチームの指導者として、深津監督には是非、女子サッカーと関わることについて、若人と関わることについて能見コーチから学んでいただきたいものである。

『違国日記』7巻

7巻書影
出典:openDB

FEEL YOUNG連載
7巻発売日:2021年02月08日
読了日:2021年02月27日

 

感想:白く、静寂な作品

主人公の朝は相変わらず色々なものに振り回されているし、周辺の人物も各々ノイズの多い時期を過ごしている。にもかかわらず、作品としては一貫して静寂感がある。とても不思議なバランスで成立している静寂さがあるように感じました。

近年やっと日の当たるようになった「問題」もストーリー上関係してくるものの、本来そこが主題じゃなく、あくまで高校生の主人公が「自分」と向き合い「自分」と出会うまでの物語だと思う。
だからこそ(純粋という意味ではないが)「白く」て、(自分と違うからこそ周囲の人々からノイズを感じているのだろうが)「静寂」なのだろうなぁ。

以下ネタバレ含みます。また文体も変わります。

7巻の感想

語彙が増えるということは、おそらく世界の解像度が変わるということ

「語彙ノート」という手法

語彙ノート、すごく単純だけれど割と効果的な手法だと思う。知らない言葉を知るのはそれだけで世界の見え方が変化することに直結する。
朝の場合、それが槙生さんの悪態だというところが個性的なところであるが。

さて、その中で出会ってしまった「空虚」と「父親」。今後どう描かれて、どうストーリーに絡んでくるのか興味深くて仕方ない。

「空虚」と「呪縛」

7巻においては「空虚」をきっかけに「父親が自分を愛していたのか」にまで繋がったのはとても良い変化だと思う。
もっと言うと、父親が実際に朝を愛していたか(又は愛していなかったのか)そのものが大事ではなく、朝がどう受け取るかが大事な点。なので、今後の進展で気になる点の一つである。

また語彙に関してはもう一つ。おそらく7巻の主軸にある言葉だと思う。
それは笠町くんと槙生さんの電話のやり取りの一言で出てきた「呪縛」。
これについてはとても扱いが難しいので後述します。ここでは朝流の「呪縛」の解き方について少々、紙幅を使いたいと思います。

朝にとっての「呪縛」は実はいくつもある。その中で7巻で解決したものが「キャラ」と「目立つ」なのだと思う。

歌がうまいことが発覚した朝。だが彼女は幼い頃父親から言われた感想の「目立っていた」がずっと引っかかっていた。そしてその発言を良い意味では受け取っていなかった。
もしそこで「上手い」「すごい」だとかポジティブな感想も伝えていれば「父親に愛されていたのかどうか」なんて考えなくてもよかったのかもしれないが、今更指摘しても仕方のないことである。

また、部活内で目立っている同級生に対して、他のの同級生の放った

いるだけで目立つん
だから大人しく
してればいいのにー
悪目立ちしない
方がいいのにねー
ってだけだよー

に対して動揺が見えた。嫌いからくる発言ではないことは確認していたが、これまで朝の世界の中にはない発想だったのだろう。だからあっけにとられたものと思う

「もつ」氏との出会い

それらを解決したのは、朝が分かるような話題、話し方をしてくれる槙生さんの友人「もつ」氏だったが、これはとても今後の朝にとって重要な出会いだったものと思われる。

朝がこれまで自分が感じていた諸々を自分の言葉で話せるようになる未来が訪れた際には(なお、その未来は訪れる予定である。朝が日記に記載したことを読み返すような形式でこの作品は成立しているため。)、「もつ」氏との出会いは一つのマイルストーンになりえるだろう。行動面でも、思考面でも。
そういう意味ではとても重要な出会いを果たした巻ともいえるだろう。

呪縛と思春期のそれ

改めて「呪縛」について

では改めて「呪縛」の話を深堀りしていこうと思う。

と、その前に。7巻の帯にもなっているけれど、この言葉がとても、とても良い。

ゆっくりでも呪縛がとけるといいよね

笠町くんと槙生さんの電話のやり取りの一言である。この視点がある二人の距離感がなんとも表現しにくいのも含めて、とても良い。

世の中には様々な呪縛があって、その呪縛の中で生きていたり、そこから(幸いなことかは人によるのだろうが)脱して生きていたりする。
その呪縛に気付いてしまった以上、維持するのか変化を求めるのかは各人の選択に委ねられる。実はこれって1巻時点からずーっと描いている、おそらく今作のテーマ(かそれに近い何か)だと思われる。

「呪縛」知らず知らず根付いてしまう

自分と出会いなおす時期特有のそれに近いなぁというのが、個人的な実感としては強い。「自分と出会いなおす時期」を「アイデンティティの確立」や「第二次性徴」(いわゆる思春期)、「就職活動時期にお祈りメールばかり届いて自信を喪失する時期」などに置き換えてもよい。あるいは深淵をのぞく時、深淵もまたこちらをのぞいているのだ。という言葉や浄玻璃の鏡を覗いている状況と捉えても良い。
いずれにせよ、自分を含めた未知の存在や知っていると思っていた自分と「実体としての自分」とが向き合った際、認知的には不協和を起こすのが、観測してきた範囲においては一般的である。

これらは、乱暴に言ってしまえばすべて「一種の呪縛」につながるのだろうなと思っている。

社会学用語としてのジェンダーや、俗にいう「毒親」などを引き合いに出さなくても、そこかしこに「呪縛」はある。「あなたのためを思って」は老若男女問わず一度は言われたことがある人が多いだろう。ここでいう「呪縛」はそういうことである。
つまり「人間としての自分」を「阻害する要素」そのものたちの事である。

今巻における「呪縛」とそれに振り回される朝

朝の見聞きしている範囲外で起こっている恋愛の件、性的なものの件、野球部の件、そして進路の件。いずれも何かしらの呪縛の表象シーンであることは疑いようがない。
そしてそれらから距離をとっている男性として描かれているのが笠町くんと塔野氏であることも忘れてはならない点である。

男だから、女だから、そういうキャラじゃないから、などなど外部指標でしか判断出来なくなると「人間としての自分の存在感」が薄まっていくように思う。それこそ空虚につながるのかもしれない。

そんな呪縛に抗っていた槙生さんやそんな呪縛から距離を取ることを選んだ笠町くんなどが身近にいる朝は恵まれているように思うのだが、当人からすればそら「わかんない」し「日本語で喋って」となるのだろうなぁ。前提が違うのだから仕方ない(当たり前の事ではあるが。)

それでも「田汲朝という人間」が自ら選択したことについては、どのタイミングだったかは置いておいて同様の結果になることを保証する槙生さんは偉いと思う。

決めたのは
あなたで
どこに誰といても
本当にやりたければ
あなたはそう
決めたと思うよ

と朝には難しく話している点を除いて、だが。(それが彼女の個性であるため、悪いことだとは思わないけれど。)

最後に

呪縛から解き放たれるのは少しの勇気と、凹みそうになったときの対処法だな、と思う。

槙生さんの言う

もし目立ったせいで
悪口言われたら
ぶっ殺せ

は少々過激ではあるが、真意がなかなか端的に表れていて、(実際にぶっ殺すわけではないという点も含めて)朝には伝わったのではないだろうか。この気概は見習いたいものである。

まとめ

やっぱりめちゃくちゃよかった。毎度毎度思うのだが、是非「今の時代に生きている」人々に読んでほしいと思う。立場が変われば感想が代わるのは当然であるだろうが、それを共有し理解する努力をしあえるような時代が到来すれば良いように思う。

『違国日記』6巻

6巻書影
出典:openDB

6巻発売日:2020年08月06日
読了日:2021年02月27日

 

感想:孤独を愛するのかは、自分で決めてよいのだよ

6巻の印象的な心象描写に「砂漠」と「サボテン」がある。それを「孤独」と「なりたい自分」なのだろうと理解しました。
それぞれ「環境」と「育つもの」と対応していることからそう理解したけれども、ほかの解釈があったら是非ご教示いただきたい。

自分が幼かった頃、同級生たちはこぞって「孤独」と無縁であるように振る舞っていたように思う。あるいは一部の同級生は「演出された孤独」を振る舞っていたように思う。今思うと微笑ましい限りなんだが、当時自分はどう感じていた、振る舞っていたのかまったく思い出せない。
実体としての私は孤独を抱えていることがバレないようにしていたものと思うけれど、なぜそんなことをしていたのかという心性までは覚えていないなぁ・・・(思い出したいような、忘れていたいような。そんな感じがしますが。)

さて、なんにせよ6巻はおそらく「孤独」と「なりたい自分」が軸になっているのだと理解しました。そのため、それぞれについてもう少し掘り下げていこうと思います。

以下ネタバレ含みます。また文体も変わります。

6巻の感想

「孤独」と「表現」と「作詞」

朝の黒歴史となる「作詞」案件

朝にとっては結果的にではあるが黒歴史と化してしまった「作詞」案件。槙生さんええなぁ、若いゆえの向こう見ずでチャレンジできる案件に立ち会えて。

作詞をしたこともないし、しようと思ったこともないが、槙生さんの指摘や表現について話をしているのを整理すると次の2つのアプローチがあるのだろう。

  1. 自分の主張したいことを軸にして、汎用性や生活感をにじませる
  2. 何か主題を設定し、それをもとに嘘を重ねる

槙生さんの言っていることは一定事実なんだろうけど、時々露悪的な物言いする時があるよね。まぁそれが彼女の個性の一つなんだけれど。

まぁつまり朝相手に「言いたいことをテクニカルに伝える方法」と「作詞作業としてテクニカルに書く方法」を整理して伝えているんだけれど、その言い方じゃ朝には伝わらないだろうなぁ。まぁ自分が当事者だったら同じような言い方になるから、おそらくそのあたりは槙生さんと同類なんだろう。

朝の抱える「悩み」

なんにせよ、表現を仕事にしている先輩からの金言をうまいこと受け取れないばかりか

叔母さんは小説家で
親が死んで超つらくて
音楽的に深みが出ても
いいはずなのになんで
全然パッとしないの!!
ということが
わたしの一番の
悩みだった

と(そこまで到達したのは素晴らしいけれども、)悩みを矮小化してしまうところにまだまだ幼さが残っていて、とても笑ってしまった。

朝が抱えている孤独感はきっと「両親が事故で亡くなった」という事実に根付いている。にもかかわらず、「両親が事故で亡くなった」という事実を、まだうまいこと処理できていない。だから「他の人と違う」と矮小化し、かっこ書きの「事実」を根拠として孤独を抱えている。

それだけならまだしも、「他の人と違う」代表でもある槙生さんと共同生活を行っている。余計に「他の人と違う」という認知を強化してしまいやすい環境にいる。
そら高校1年生が整理するには容易ではないものだろう。仕方がない側面があるのは大いに認めるところであるが、今後の朝が本当に楽しみになる6巻だったなぁ。

また、こんな構造だからこそ、ストーリーのアクセントとして「日記」の形式を取り入れたんだろうなぁ。ヤマシタトモコは天才なのかもしれない。と別の視点でもすごさを感じた巻でもある。

「なりたい自分」という得体のしれない怪物

誰しもが「なりたい自分」があるとは思えない

幼い頃「何になりたい?」と訊かれたら、職業名で答えていた。憧れの職業がいくつかあったため、それらを相手やシチュエーションに合わせて答えていた。
そういう意味でいえばその当時の自分と朝は同じだったと思う。
自分の軸というのか、譲れない何かというのか、「自分を持っている感」がまったくなかったように思う。

さて今「なりたい自分」についてもし考えろ、と言われても困ってしまう。「なりたい自分」がないからだ。

「なりたい自分」から「在りたい自分」へシフトすると視界がクリアになる気がする

念のため申し添えると、「なりたい自分」はないが「こう在りたい自分」は存在している。なので、強いて言うなら「「在りたい自分」で在れるよう努力できるようになりたい」と答えるだろうと思うが、そう言っている時点で「努力できていない」と暗に宣言してしまうように思えて凹むだろう。
また、学生期を越えた自分にとって、「なりたい自分」について聞かれるシチュエーションがそもそも想像できない。だから何を訊きたいのか真意を測り損ねる。

そもそも「なりたい自分」を仮定するから話がややこしくなるのだ、と思えてくる。有るのか無いのかはっきりしない「なりたい自分」について考えるよりも、いっそ「なりたい自分」を考えないで「こう在りたい自分」として考えた方が素直に自分と向き合えるのではとまで思う(あくまで個人的な感想だが)。

「なりたい自分」になるために労力を払う

(こんな風に個人的にとらえているような)「なりたい自分」に自ら「なる」と宣言した朝を見た樹乃さんには、そらニヤつかれるよなぁ。自分がその場にいたらニヤニヤするだろうし、若っけーなーと思うだろう。いいなぁ樹乃さん。そんな場に立ち会えて。

朝の心境を推察するに、「なりたい自分」があれば、それになれれば、抱える孤独感から解放される気がしているんだと思う。これは一定正しい。
「なりたい自分」であれれば、その姿の朝と仲良くなったり憧れる人間が一定集まるだろうから、物理的には孤独ではなくなることが予測される。

しかしこれでは朝の抱える孤独感がなくなるわけではない。場合によっては増幅される恐れすらあると思う。
なりたい自分になったはいいものの、自分と周囲の人との違いにばかり目が行って、余計に孤独を感じるというジレンマは洋の東西を問わず不変のテーマであるように思われる。

そういう意味では槙生さんの仕事部屋の押し入れを改造したのは良いきっかけになれば良いな、と思う次第である。労力の払い方やアプローチ方法は人によって様々なのだから。

まとめ

相変わらずめちゃくちゃよかった。是非「今の時代に生きている」人々に読んでほしいと思う。種々感想があるだろうが、それこそが「今の時代」の実相のように思う。

『永世乙女の戦い方』4巻

4巻書影
出典:openDB

ビッグコミックスペリオール連載
4巻発売日:2021年01月29日
読了日:2021年02月09日

 

感想:消化不良感が強かった

次巻が出てから一気に読んだほうがより面白かったのだろうかと思うくらい、個人的には消化不良感。もちろん面白かったし、新キャラの夏木七段(以下夏木先生)はとてもキーパーソンになれるキャラだと思う。でも少し、消化不良感。

私個人に依拠する話で恐縮だが、「くずしろ」という作家は作家買いするくらい好きな漫画家の一人である。特に「キャラの悩みや葛藤の深さを意識させずにストーリーに織り込んでいく」ことがとても上手な作家であると思っている。伏線を張る場合も各キャラの心情に寄り添った張り方をするように感じてる。
そういうところが「くずしろ」という作家の好きなところだ。

今巻、マイナビ女子オープンの第2戦の相手キャラとして「魔女」と呼ばれる夏木先生が登場する。とても魅力的なキャラだと思うのに、それが分かるような展開かといわれると、ちと弱いよなぁと。カタルシスが薄いよー、くずしろせんせー。

とはいえ夏木先生はとても魅力的なキャラなので、キャラの背景に踏み込んだ考察(のようなもの)をやっていきたいと思います。

以下ネタバレ含みます。また文体も変わります。

夏木先生の特徴

奨励会の頃の強さ

「女性の中では一番強い」と言われていた頃

奨励会のころの夏木先生は老若男女関係なく、盤上で相対した相手であれば誰であっても倒してやるというような、全方位に噛みつける強さを持っていた。
自分が傷つくことを恐れないようなその戦い方は、常に背水の陣のようなその姿勢は、おそらく勝ち星を稼いだものと思われる。その一方で、全方位に噛みついていくと、「いったい自分は何と戦っているのか」が分からなくなる危険を孕んでいることを忘れてはならない。

また、第三者から見ればきっと「無謀」のように見えたり、「(一種の)純粋さ」を感じたりするのだろう。「そこに痺れるあこがれる」というのは簡単ではあるが、自分が実践するとなると、抵抗したくなる戦いだっただろう。

なお作中で夏木先生自身は以下のように扱っている。

奨励会にいた時は、雑念ばっかだったから。
女だから舐められるとか、男に負けたくないないとか。
しょうもない、将棋と関係ない雑念。

若さゆえの極端さ

おそらく実感としては「純粋に将棋と向き合っていたはずが、属人的な事柄や盤外の事柄に囚われていた」のだろう。若気の至り、あるいは思春期・青年期の課題と言ってしまえば一言なのかもしれないが。

なんにせよ、全方位に噛みつける類の強さは「感情に根付いた強さ」なのだろう。将棋が好きで、指すのが楽しくて、負ければ悔しくて。だからこそ「棋士になれるか」という不安や「女は棋士になれない」などの偏見によって感情を揺さぶられている自分を嫌ってしまう。そんなことが垣間見えるモノローグが以下の2点だろう。

不安感と焦燥感と絶望感と虚無感で、焼き切れそうな糸を、
ギリギリ保っているような毎日

頑張ってるのに、頑張ってるのに、頑張ってるのに。
月に一度、必ず、追い打ち・・・・が来る。

人生のターニングポイントの迎え方

私自身将棋については門外漢だが、「努力することが大前提で結果を残すことが求められる集団」に所属していると「そもそも何故自分は今ここで努力をしているのか」とそもそも論を自問自答する時期が来る。夏木先生の場合、おそらく「なぜ女の私が、こんなに苦労して、辛い思いをしてまで、将棋を指しているのは何故なのか」と立ち止まってしまったことと思う。
「将棋が好きだから」でも「勝つのが楽しいから」でも「新しい手を開拓するのが楽しいから」でも、答えはなんでもいい。なんでもいいが、自分の答えを「確かにそうだ」と思える納得感が必要なのは間違いない。その納得感を得られるかどうかが、大げさな話、人生の岐路に直結するのだろう。
夏木先生はそこで納得できる答えを(良くも悪くも)四條先生に出されてしまったものと思う。

将棋にも性別にも、振り回されるくらいなら、利用した方がいい。

正論だと思う。 真理かもしれない。肩の荷も下りただろう。だからこそ、夏木先生は「対女流に特化した強さ」を得られたのだろう。「棋士になる」というモチベーションを失う形で。(夏木先生が棋士になりたいと明言はされていないけれど、奨励会に入会するということは「棋士になりたい」ということと同義であるという前提で考えていますが。)

全盛期の強さ

おそらく消化不良の原因はここ

さてそこで、全盛期の頃の強さ、対女流に特化した強さだった頃の夏木先生はどう変化したのだろうか。いわば「雑念」から解き放たれた「夏木小百合」には何が残ったのだろうか。

残念ながら現時点ではそれを推し量る材料が少ない。全盛期の頃エピソードはインタビューで話されていた話題程度であり、試合の最中にその顔を覗かせたシーンは4ページしかない。そのため現状ではわからない。

しかしながら前述の通り、「感情に根付いた強さ」を武器にしていた夏木先生が、四條先生の発言によって「雑念」から解き放たれたとするならば、強さの種類としては「感情に根付いた強さ」から変化するのは必然と考えられる。

問題はどう変化したかであるが、「対女流に特化した強さ」を誇ったということは、おそらく「女流棋士には絶対負けない」という「意志に根付いた強さ」に変化したのではないだろうか。

全盛期当時のインタビューに夏木先生は

女流になったからには、女流としての戦い方をするべきと切り替えた

と(おそらく)答えている。

女流棋士の特徴でこれまでに描かれているものだと、2巻(須賀田-早乙女戦)に少し描かれている。

女流は弱くても許される
女流は早指しが主だしこらえ性がない

須賀田は早乙女に対して、他にも棋士女流棋士との違いを主張している(厳密には2つ目は須賀田のモノローグだが)。
その中でも比較対象のない「早指しが主」という点以外は須賀田の主観として扱うが、須賀田にとって「女流棋士」とは以下のような存在なのだろう。

  1. 棋士と比べて勝負に対する真剣度が違う
  2. 時間かけて最善手や妙手を探す戦い方をしない

そして、おそらくこの漫画の中において、女流棋士の扱いは須賀田ほどではないとしても同種のものとして扱われている。(この辺りの理解が追い付いていないため、詳しい方がおられたらご教示いただきたい)

さてこの上で、夏木先生が選んだ「女流としての戦い方」とはどのようなものか。
(私の読解力が足りていない可能性を棚上げしてよければ)そこが分からないかった。だからものすごくもやもやしてしまったのだろう。

想像するに、女流の良いところを取り入れつつ、奨励会出身としての強みを出していったものと思われる。(それらが何なのかがわからないが。)

いずれにしても、「これまでと違う戦い方」を選んだのである。おそらく、女流棋士として生き残る=勝ち続けるために。それが結果的にいばらの道につながっているとも知らずに(奨励会が地獄なのであれば、いばらの道の方がマシなのかもしれないが)。

休場へとつながる「必然」

全盛期の頃の強さは「勝ち続けるんだ」という意志を保つ必要がある。しかし意志を継続させるのは簡単ではない。何かしら動力源が必要となってくるだろう。
それは人によって違うのだろうが、「好き」だったり「楽しい」だったり「勝ててうれしい」だったり、概ねポジティブな感情に根付いたものと思われる。

しかし、勝ち続けることを選んだ結果、あるいは意識的に、もしくは選択的に、「意志に根付いた強さ」を選んだ夏木先生は、それゆえに将棋そのものと距離を取らざるを得なかったのだろう。もともと目的だったものが、手段になった途端、距離感が分からなくなったり、見え方の変化に戸惑うのは必然である。

あるいは、夫との出会いが将棋に傾けていた情熱を分けることにつながったのかもしれない。夫の事を将棋ほど好きでなかったとしても、これまで将棋に傾けていた熱量と比べて減ったと感じたら距離を感じてしまうのも仕方がないだろう。
どちらにしても、「対女流に特化した強さ」を得ることは「休場」へとつながることは必然だったものと思われる。(その頃の描写はほぼないから推測の域、妄想の領域を出ないが。)

休場と復帰がもたらした新たな「強さ」

そのように考えると、「天野香織」との出会いは夏木先生にとってもとても大きいものであるのは間違いない。

出会った当初は同情もしただろう。そして天野と話をした結果、過去の自分や奨励会の人間と被る部分も見え、嫌悪もしただろう。

……忘れてたのに。奨励会地獄を。

と思うくらい「奨励会の頃の自分」にとらわれていたことに気付いていないのだから、嫌悪するのも仕方ないと思う。

しかし10年後、娘をきっかけに天野香織が二冠を獲得していることを知った途端、愛憎渦巻いていた感情が感情が「将棋」から「天野香織」にも向くことで、将棋との距離感を取り戻せたのではないだろうか。(それ以降の事は描かれていないので割愛)

まとめ

以上、長々と書いてしまいました。

夏木先生の背景をもう少し描いてくれたら「そんな夏木先生だから天野香織も角館塔子も避けたいと思う」が納得できると思うのです。今のままじゃ、あまりに噛ませ犬すぎる。
そこがすごく勿体ない、というのが(長々と書いてきてアレですが)個人的な感想なのかな、と思います。

王将戦とかスピンオフとかでもう少し夏木先生自身に触れてくれないかなぁ。そうなると個人的にはとても嬉しい。

『満ちても欠けても』全2巻

1巻書影
出典:openDB

1巻発売日:2012年12月11日
1巻読了日2021年02月12日(再読)

 

2巻書影
出典:openDB

2巻発売日:2014年05月13日<br />2巻読了日2021年02月13日(再読)

 

感想:とてもラジオが好きになるマンガ

今回は完結済みの漫画を紹介。
というか、1巻発売がもう10年近く前の事なんだなぁ・・・
今更感想を書いても遅いのかもしれませんが、まぁそこはご愛敬ということで。

現役ラジオリスナーはもちろん、最近ラジオを聞いていない元リスナー、ラジオ自体を聞いたことない方など、どんな人でも「ラジオってこんな感じなのかな」と思える内容です。
とても心穏やかに読める作品なので、疲れている人も是非。

以下ネタバレ含みます。また文体も変わります。

今作の特徴

ラジオが好きな人たちしか登場しない

今作の主な登場人物は5名。天羽アナ、伊庭ディレクター、放送作家の中村、新人ADの蒲田、ミキサーの牛塚。いずれも形は違えどラジオ愛にあふれた人物たちだ。

例えば天羽アナの場合。入社後6年経過し、仕事がどんどん楽しくなってきている時期のようで、面白いと思ったことは強面ディレクターの伊庭相手でも臆せずひるまず提案できる胆力がある。
その一方で、ラジオで見せる姿は癒しや安らぎといった要素が表立つ(とはいえ企画では面白い人柄もにじみ出ているが)。なによりラジオのリスナーに

声 聞いてると 仕事が好きなんだーって 全力で伝わってくる

と言わしめる人物である。

ほかの四人もラジオが面白くなるためならどんなことでもするのだから愛の深さは推して知るべしといったところか。

オムニバス形式ゆえの見え方

オムニバス形式のため、各人にスポットが当たる。その中でも天羽アナと伊庭ディレクターは描かれる頻度が高くなっているが、それは二人が作品そのものの物語を進めていく役割だからだろう。実態としては「ミッドナイトムーン」という天羽アナたちのチームでやっているラジオ番組が中心に据えられ、そのパーソナリティとディレクターだから軸になっているといったところだろう。

そのため、放送局側だけの話にとどまらず、各巻にリスナーの話も出てくる。私自身ラジオリスナーなため、登場するリスナーの感情は自分のそれと大いに重なるところがあり、より没入して楽しめたのかもしれない。もちろんラジオリスナーじゃなきゃ楽しめないという作りではないため、そこは安心いただきたい(念のため)

まとめ

第一話に今作の特徴がちりばめられていると思う。例えば天羽アナが後輩アナウンサー花岡(この時点では名前が出ていない)と話していた

ひとりひとりの「あなた」に向けて伝えるのがラジオなの

という話をしていたシーンをとっても天羽アナのラジオ好きが伝わってくる。

また伊庭ディレクターとの会話シーンでラジオで料理企画を行うことについて天羽アナが発言していた

(ラジオ)だからこそいいんですよ!
音だけって想像しちゃうんです
(中略)
映像で ただ見るよりも
聞いてる人の中ですごく膨らむと思うんです

「ラジオ」だから身近に感じるし、「声だけ」だからこそ想像力が働くのは本当にそうだと思う。個人的にはそこがラジオの一番の魅力で、だからずっと聞いているところのように思っている。
最近では映像付きラジオとかもあるけれど、やはり少し色味が違うように思う。(もちろんこちらもこちらで面白いけれど)。

最近はげらげら笑えるのばかり聞きがちだけれども、そういうの以外のラジオを聞きたいなと思った作品でした